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 U.地理的考察

1.「ういろう」分布図


 
「ういろう」に興味を持つようになってからの課題の一つが、「ういろう」の分布。「ういろう」が、日本列島においてどのように分布しているのかは、実はよくわかっていないようです。「ういろう」の食べ歩きを始めて6年あまり、これまで凡そ100社の「ういろう」を食してきました。淡路、
丹後・丹波、近江湖西などまだ未確認の地域もありますが、”100社制覇”を機に、現在わかっている範囲で、分布図を作成してみました。



1.1 「ういろう」分布図

「ういろう」の分布域を示すと、図1のようです。

を記した地点が、「ういろう」が販売されている地点。「ういろう」を取り扱う会社が特に多い場合は、大きなを記しました。徳島・近畿以東は実際に作者が訪問して購入した地点、山口や九州は、土産物として頂いたり、ネットで販売されている地点です。


図1 「ういろう」分布図


 赤丸の密集する地域を囲むと、近畿東海、徳島、山口の3大分布域が広がっているのがわかります。これが「ういろう文化圏」ということになります。


図2 「ういろう文化圏」


全国各地で、今日のように和菓子が造られるようになったのは、国内で砂糖が安価に製造されるようになった江戸後期、1800年代と言われています。それまでは、輸入品であった砂糖は超高級品、したがって和菓子も一部の上層階級のものでしかありませんでした。 

江戸後期は同時に商品流通が飛躍的に発展した時期でもありました。上方の商品や文化、言語が、街道や廻船を通じて各地の城下町、さらには門前町や宿場町へと拡散していきました。 

図2の「ういろう文化圏」をみると、江戸後期に発生した方言が分布している地域と類似しています。「ういろう」は江戸後期に京から”伝播”していったと考えられるので、「ういろう」と方言が同様の分布をしているのも偶然ではないでしょう。 

「ういろう」のある地点は、ほとんどが城下町、門前町、宿場町であったマチバ。 上方からの方言が、一旦、これらのマチバに集積され、さらに周辺域へ放射されていったのと同様、 京からの「ういろう」が、これらのマチバに定着したと考えられます。 

1.2 分布域の分類

1.2.1 広域分布域

 
(1)近畿東海地域

兵庫県神戸市から愛知県豊橋、そして淡路島まで、ほぼ連続して 「ういろう文化圏」が広がっています。京都を始め、近江・尾張には江戸期創業のういろう専門店も多くみられ、歴史的にみても「ういろう文化」の一大中心地であろうかと思われます。

(2)徳島地域

徳島県は、方言面では近畿に近く、文化面でも同様と考えられています。したがって、徳島県の「ういろう」は、淡路島を介して、本州中央部に広がる「ういろう文化圏」に連続したものと考えられます。

(3)山口地域

山口の外郎は室町期、大内家のもとで発展したそうです。歴史的にみると、京都や小田原の外郎と同様、古い歴史を持っているようです。中央の「ういろう文化圏」から遠く離れていることや、素材が他の地域とは異なることなどから、京都や小田原の外郎と違い、独自に発展したものと思われます。九州側の中津にもみられますが、山口から伝播した可能性が考えられます。

ちなみに正式な表記は、ご本家の小田原と同じく「外郎」というのが特徴的。 他地域は「外良」、あるいは仮名で「ういろう」「ういろ」となっています。 

1.2.2 「ういろう」島

方言の分布図を見ていても、広大な分布域から離れて、遠くに点在する例がよくみられます。いわゆる「言語島」と呼ばれるものです。これらが遠く離れて点在している歴史的要因を考察するもの、また面白いものです。 図1・2からもわかるように、「ういろう文化圏」から離れた、3つの「言語島」ならぬ「ういろう島」があります。 

(1)小田原

「ういろう」の御本家である、ご存じ小田原の外郎。室町期に外郎家が小田原に移住、小田原に「ういろう」がもたらされたことはよく知られています。ただ、明治期まで一般に販売されることはなく、また周辺域に広がることはなかったようです。

(2)富山

富山に「ういろう」が販売されているのは意外ですが、富山も徳島と同様、古来より近畿との繋がりが強く「ういろう」を受け入れる素地があったのではないかと思われます。

(3)宮崎

宮崎の場合は、たまたまそこで生れた餅菓子が「ういろう」に似ていたことから、後に「ういろう」と命名されてことがわかっています。したがって、宮崎の「ういろう」を歴史的にみると京都から伝播したものではなく、言ってみれば「擬似ういろう」といえるかもしれません。 
 

1.3 おわりに

以上が、6年間の「ういろう」の旅の、現段階での結論。 こうして考えてみると、 方言も「ういろう」(食文化)も、京(さらに言うと、上方)という強文化圏から周辺地域に伝播していることがわかります。恐らく、衣食住の他の多くの要素も同様の歴史を辿っているのかもしれませんね。 「ういろう」を通じて、いろいろなものが見えてきたように思います。


では次に、各地の「ういろう」の状況を見ていくことにしましょう。

2013/09/01

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