3. 日本語漢字音「外郎」の内的変化 −発音・2−
「うゐらう」という表記をご覧になって、これは「旧仮名遣い」ではないかと直感された方も多いと思います。「旧仮名遣い」とは、戦後に制定された「新仮名遣い」に対比した用語です。しかし、言語学的にみると、平安期の日本語の発音をそのままに表記したものということが言えます。平安期の発音が長い時間をかけて、今日私たちが話しているような発音に変化してきたのです。「うゐらう」がどのような過程で、現在のように「ウイロー」に変化してきたのかを、日本語における内的変化という視点から順に見ていくことにしましょう。 |
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3.1 室町期の日本語
漢和辞典では「外郎」の唐音を、ウヰ・ラウと表記されています。しかし、「外郎」が日本語に移入された室町期では、この表記通りに発音されていませんでした。この平安期の仮名遣いを基にした表記法は、実際の発音とはもう既にずれてしまっていたということです。平安期の表記法は、室町期でさえ既に「旧仮名遣い」であったといえます。
それでは、室町期に「外郎」はどのように発音されていたのでしょうか。
3.1.1 ア行とワ行の混同
平安期の日本語にはア行とワ行が並立していました。ですから、ア行とワ行には別々の仮名文字が使用されていました。
ア行 |
ワ行 |
a |
i |
u |
e |
o |
あ |
い |
う |
え |
お |
ア |
イ |
ウ |
エ |
オ |
|
wa |
wi |
- |
we |
wo |
わ |
ゐ |
- |
ゑ |
を |
ワ |
ヰ |
- |
ヱ |
ヲ |
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イとヰには、次のような語の対立がみられました。
射る(イル/いる/iru) : 居る(ヰル/ゐる/wiru)
愛 (アイ/あい/ai) : 藍 (アヰ/あゐ/awi)
しかし、「ことばは、楽な方へと変化する」(ルールC)という性質があります。ア行とワ行は平安末期から鎌倉初期にかけて次第に混同されていくようになりました。室町期にはすでに、ワ行はワを残すのみとなり、ア行に統合されています。イとヰも区別がなくなり、「射る」も「居る」も、イルになってしまいました。したがって、「外」の唐音は、ウヰと表記されてはいたけれど、実際にはウイ/uiと発音されていたということになります。
3.1.2 連母音の長音化
鎌倉期になると、2つの母音が続くと発音しにくいのでこれを避けようという変化が起こりました(ルールC)。これが、アウ、オウの長音化です。
アウという表記は、平安期にアウ/au/と発音されていましたが、室町期にはアォー/OOと発音されるようになっていました(便宜上、を大文字Oで表記します)。現代の日本語では(越後などの一部の方言を除いて)聞かれない発音です。これは、英語のauto(自動車)のauと同じ発音です。
京・きやう=kjOO、当時・たうじ=tOOji
オウという表記は、平安期にオウ/ouと発音されていましたが、室町期にはオー/ooと発音されるようになっていました。この音は、現代日本語と同じものですね。
教・きよう=kjoo、冬至・とうじ=tooji
このように、室町期には2種類のオの長音が並存していたわけです。少し時代が下って、1603年にイエスズ会のポルトガル宣教師によって編纂された『日葡辞書』には、この区別が明確に記録されています。アォーは「開(開く、拡がる」、オーは「合(窄る、窄まる)」と呼ばれていました。これが国語史上、有名な「オ段開合の区別」と呼ばれるものです。
これより、「郎」の唐音は、ラウと表記されていたけれど、ラォー/rOOと発音されていたということになります。
以上より、室町期に初めて「外郎」ということばが日本に移入された際、平仮名では「うゐらう」と表記されていたけれど、実際には、ウイラォー/uirOO と発音されていたということができます。 |
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3.2 江戸期の日本語
2つのオ段長音、開音のアォー/OOと合音のオー/ooの区別は、由緒ある正しい音として室町期の京の都では考えられていました。 しかし、5母音体系の日本語に2つのオが並立するという状況は極めて不安定であり、やがてこの2つのオ段は、合音のオー/ooに統合していくことになります(ルールC)。
京では、慶長期(1596〜1614)までは開合の区別が保存されていましたが、田舎ではすでに混乱が始まっていたようです。『林永喜仮名遣書』においては、「口のひらくかな、すはるかな、あそばしちがひ候は、わろき事にて侯。」と開合の混乱を戒めています。
しかし、京においてもこの流れにたがうことは叶わず、元和期から明暦期(1615〜1660)の40年で、開合の区別はすっかりと廃れてしまいました。日本語史上、アォー/OO
[:]というような不自然な音は定着することなく、短い期間で消えていったということでしょう。
これにより、室町期にはウイラォー/uirOOと発音されていた「外郎」も、江戸期は1660年頃になると、現代と同じような発音、すなわち、ウイロー/uiroo [uiro:] と発音されるようになりました。以後、「外郎」は、旧仮名遣いが使用された戦前まで正式にはうゐらう・ういらうと表記されながらも、ウイローと発音されてきたのです。
〔参考文献〕
柳田征司(1985)『室町時代の国語』東京堂出版
坂梨隆三(1987)『江戸時代の国語上方語』東京堂出版 |
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3.3 まとめ
7〜9世紀、中国より日本に漢字音が流入、その際、日本語風に’訛って’受け入れられた。これが、呉音・漢音と呼ばれるものである。
14世紀頃から、中国の政治文化の中心が北方へ移動、中国語も大きく変化した。古音は南方方言に残り、北方方言は簡素化した。これらの一部が日本に再び流入した。これが、唐音とよばれるものである。
14世紀に日本に渡来した陳延祐は「外郎」を家名とする際、当時の日本語漢字音(呉音・漢音)を使用せず、現地音に近い漢字音(唐音)を採用した。したがって、「外郎」は、「がいろう」ではなく「ういろう」と読まれるわけである。
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中古漢音 |
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中国語南方方言 |
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日本語呉音 |
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日本語漢音 |
nguailang |
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goalong |
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gwerau |
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gwairau |
↓ |
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中国語北方方言 |
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江戸期日本語 |
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wailang |
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uirOO |
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uiroo |
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