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 2、中国漢字音「外郎」の渡来 −発音・1−

 前章では、お菓子の「ういろう」がなぜ「外郎」と称されるようになったのかを、歴史的に振り返ってみました。本章では、この「外郎」がなぜ、「がいろう」ではなく「ういろう」と音読みされているのかを、「言語変化」という視点から考察していこうと思います。

〔目次〕 2.1 言語の変化
2.2 漢字音の流入〜呉音・漢音
2.3、漢字音の流入〜唐音



 
 2.1、言語の変化

 「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」とはご存知、鴨長明の『方丈記』。人も社会も絶えず変化して行くのは世の常。言語も同様、「生き物」と言われるように、常に変化し続けています。社会にしろ、言語にしろ、変化を促すものには、「外的要因」と「内的要因」が挙げられます。

 2.1.1 外的要因

 日本の社会だけでなく、日本語にも大きな転換点が3つあると言われています。いずれも列島の外からの影響によるものです。一番新しい転換点が「明治維新」(1868年)だと言うのは、ご想像の通りです。「文化は、高い所から低い所へ流れる」とはよく言われることですが。この時期、欧米の最先端の知識・技術が日本に大量に流入したのと平行して、日本語の中にも大量の欧米語が流入してきました。いわゆる「外来語」です。

 日本語と外国語では発音の仕組み(音韻体系)が異なっているため、外国語を日本語に取り入れる際、うまく聞き取れませんし発音できません。そこで、日本語風に発音することになります。例えば,英語で”rice”[rais](米)と1音節で発音されても、日本語では「ライス」[ra・i・su]と3音節でしか聞き取れませんし、発音できません。つまり、’訛って’しまうわけなんですね。

 もうひとつ、”lice”[lais](蚤)と発音されても、「ライス」としか聞こえません。英語にはrとlの区別がありますが、日本語にはなく、双方とも「ラ行」にしか聞こえないからです。つまりは、「米」も「蚤」も「ライス」ということになってしまいます。同様に、英語の”sink/think”は「シンク」、”she/sie”は「シー」など、多くの例がみられます。

 以上、外国語を取り入れる際は、
  ルールA … 外国語の発音の仕組みを、日本語の発音の仕組みに置き換える。
  ルールB … 外国語にあって日本語にない音は、日本語にある近い音に置き換える。

 ということになります。

 2.1.2 内的要因

 最近マスコミでよく耳にする名古屋方言。「どえらけねぁー」などという言葉、いかにも「名古屋弁」ていうフレーズ、インパクトがありますね〜。

 東京や京阪の人たちからすると、この「ねぁー」という響きがとても強烈に響くそうです。これらの地域では「あ・い」[ai]の連母音は丁寧に発音されますが、名古屋を含む東海地方、東北・中国地方など地域では、このように「えぁー」[:]と続けて発音します。

 どうしてか? この方が発音が楽だからです。ア→イと口を閉じるよりも、その中間のエァーで済ませたほうが、労力がいりません。ことばは「経済的な方向に変化する」という性格を持っていると言われています。つまり、楽な方へ楽な方へと簡略化していくわけなんですね。まとめると、
 
 
 ルールC … ことばは、楽な方へと変化する。

 ルールA〜Cを頭の片隅に置いていただいて、本題に入っていくことにしましょう。



 2.2 漢字音の流入〜呉音・漢音

 日本語のもう一つの転換点が、「白村江敗戦」(663年)とされています。このときに多くの百済人が日本に亡命、高度な文明とともに漢字(および漢字音)をもたらしました。漢字音が、どのように変化しながら東アジアに拡散し、どのように日本語に受容されたのかを振り返りつつ、「外郎」の発音の変化をみていきます。

 2.2.1 中国語の漢字音

 殷周時代には、華北に限られていた漢民族の勢力範囲は、秦や漢などの統一王朝の版図拡大によって周辺諸民族の地域へと拡がって行きました。一方、五胡十六国や南北朝時代の混乱期には、モンゴル・ウイグル・チベットなどの周辺諸民族が華北に侵入して王朝を樹立、その過程で漢化されていきました。また、唐王朝滅亡後の混乱期には、華北の漢族が華南へ移住して南朝を樹立しています。

 このような中国語(漢語)圏の拡大の過程で成立していったのが中国語方言です。例えば、台湾語や客家語などは、華南に移住した漢族により古い漢字音が保存されていますし、広東語などは、南方のタイ語系民族が漢語を習得してできた方言だと言われています。

 漢字音の一番古い記録は、601年に編纂された『切韻』にみられるもので「中古漢音」と呼ばれています。それでは、ここに記録されている漢字音が、中国語の各方言でどのように受け継がれているのか「外」と「郎」を例に比較すると、表1-左のようです(声調は略)。

表1 漢字音の比較(1)
中古漢語 中国南方方言 日本語
上海 客家 広東 台湾 潮州 呉音 漢音
「外」 nguai ngo ngoi ngoi goa ghua gwe gwai
ングワイ ンゴ ンゴイ ンゴイ ゴア グア グヱ グワイ
「郎」 lang laang long long long lang rau
ラング ラーング ロング ロング ロング ラング ラウ


 「外」は、中古漢音ではnguai/ングワイと発音されていました。ngは、国語教育では「鼻濁音」と呼ばれるもので、強いてカナ表記するとングとかク゜ということになります。表1に記した、各方言をみてみると、3方言はng-がそのまま保存されています。一方、台湾や潮州では、ng-で始まる音節がなくg-に入れ替わっています(ルールB)。

 「郎」は、中古漢音ではlang/ラングと発音されていたと推測されます。各方言をみてみると、少しずつ’訛って’はいますが、ほぼ古い音を保存しているのがわかります。

 これより、「外」「郎」は、中古漢音では
nguai・langと発音されていたことになるのですが、当時「外郎」という職業があたかは定かではありません。ちなみに、上海ではngo・laang、台湾ではgoa・longとなります。

 2.2.2 日本語に渡来した唐代古音

 それでは、日本語はどのようにして漢字音を取り入れていったのでしょうか。その契機は上述したように、663年の「白村江敗戦」によってでした。百済人(帰化人)により、漢字がもたらされ、外国語である漢字音が日本語に大きな影響を与えました。それまでにはなかった「ン、ッ、ー」が、このとき日本語に採用されたと言われています。この最初の漢字音は「呉音」と呼ばれていますが、実際には「山東方言音を原型とする朝鮮音(百済音)」であったとされています(藤井2007)。

 時代も下り、遣唐使の時代になると、唐王朝の標準語「長安・洛陽の音」が、新しい漢字音として日本へもたらされました。と同時に、それまで使用されていた漢字音は、時代遅れの古臭い音とされ、次第に新しい音に取って代わられていきました。平安朝の初め頃になると、古い音が「呉音」と卑しめられ、新しい音が「漢音」としてもてはやされました。ただ、仏教用語には既に「呉音」が定着していて、「漢音」に代わることはなかったようです。

 2.2.3 日本語における漢字音の受容

 中国語の漢字音が、大陸各地の諸民族に受容されていく過程で’訛って’いったのと同様、日本語でも日本語風に’訛って’受容されていきました。ここでも「外」と「郎」を例にみていきましょう。

 「外」に関しては、呉音ではgwe/グヱ、漢音ではgwai/グワイとなっています。呉音と漢音の相違点は大きいのですが、「外」についてはあまり差異はないようですね。今も昔も、日本語にはng-で始まる音節はありませんから、台湾語や潮州語と同様、ng-をg-に置き換えています(ルールB)。

 「郎」は呉音も漢音も、rau/ラウです。これは中古漢音とも中国語諸方言とも随分と違っていますね。中国語諸方言は-ngで終わる音節は一般的ですが、日本語では-ngで終わる語はありません。そこで、-ngを-uに置き換えることになりました(ルールB)。

 これより、当時の日本語で「外」「郎」は、
gwe・rau/グヱ・ラウ(グウェ・ラウ)、あるいはgwai・rau/グワイ・ラウと発音していたということになります。
 


 2.3、漢字音の流入〜唐音

 2.3.1 中国語における漢字音の変化


 現代中国語(普通話)を学習したことのある方なら、上記で紹介した中国語南方方言の漢字音が、標準的な北京語(北方方言)と随分と違うことに気づかれたかと思います。

 中国の歴史地図を眺めると、北京は「万里の長城」のすぐ近くに位置しています。つまり、北方民族と接する最前線近くの防衛拠点に過ぎず、辺境とされてきま した。元王朝はこの地に首都を置き「大都」と呼ばれていました。元王朝より、現代に至るまで(一時期を除いて)北京は中国の首都であり続け、北方方言の北京語は標準音「官話」としての位置を確立し、周囲へと拡散してい きました。北京語に代表される北方方言は、長江以北の広大な地域に広がり、地域差も大きくないと言われています。

 北方方言の北京語は、南方諸方言から大きく変化しています。「外」を例にとると、ng-音が脱落してwai/ワイと’訛って’しまいました(ルールC)。「郎」は、唐代の古音や南方諸方言と大きな差異はなく、lang/ラングのままです(表2)。現代の北京語の基礎は、元朝のころに確立したとされていますが、そう考えると当時の「外郎」の発音も現代と近い
wailang/ワイラングだったと考えることができます。

表2 漢字音の比較(2)
中国語 朝鮮語 日本語
北京 唐音
「外」 wai oi
ワイ オイ ウヰ
「郎」 lang rang
ラング ラング ラウ

 ちなみに、現在の朝鮮語の「外郎」は、oirang/オイラングと発音します。北京語や日本語唐音と同じく、語頭のng-音が脱落している点が共通しています。

 2.3.2 日本に渡来した唐音

 遣唐使の廃止(894)以後、日本・日本語は一種の鎖国状態にありました。しかし、鎌倉期以降、中国から新しい事物・概念がもたらされ、それに伴い新しい漢字音が再び日本語に流入することになりました。
   @ 鎌倉期、臨済曹洞宗の禅僧が伝えた、宋末〜元初の浙江地方の音。
   A 江戸初期、黄檗宗(臨済宗の一派)や曹洞宗心越派の宗祖がもたらした、明末の杭州や南京の音。
   B 江戸中期、長崎の通事を通じてもたらされた、清代の音。
 このように、原型となる中国方言音も、日本に移入された時期も雑多で、呉音・漢音のように体系的なものではありませんでした。例えば、暖簾(ノレン)、椅子(イス)、蒲団(フトン)、行燈(アンドン)などの特殊な語彙に用いられる限定的なものでした。これらをまとめて、呉音・漢音ではないという意味で、便宜的に「唐音」と呼ばれるようになりました。

 室町期、元の礼部員外郎であったが日本へ渡来し、陳外郎と名乗るようになったことは前章で述べたとおりです。陳宗敬は、当時の日本語の漢字音であった漢音gwairau/グワイラウを使用せずに、出身地の現地音を日本語風に訛った音を当てています(ルールB)。

 現在、中国・香港の俳優名は、日本語の漢音ではなく、現地音に近いカナ表記で表すのが一般的のようです。例えば、陳美齡はチンさんではなく、(アグネス)チャンさんと呼ばれています。陳外郎も陳美齡も、日本語音ではなく出身地の現地音で名乗ったというのは、時代を超えて共通した点です。

 陳宗敬の出身地の台州は、浙江省の北部に位置する都市。浙江省南部は中国語南方方言の呉方言地域であるのに対し、北部は北方方言の地域とされています。このことから、「外郎」の発音は現代北方方言のwailang/ワイラングに近いものと考えられます。そして、それを日本語風に訛った音が、ウヰラウだったわけです。

 「ウヰラウ」は、上記のような禅宗の用語と共に、新しい漢字音「唐音」として日本語の中に溶け込んでいきました。これを平仮名で表記すると
「うゐらう」となります。この「うゐらう」こそが、本サイトで扱っている「ういろう」の、一番最初の平仮名表記となります。
 


 
〔参考文献〕
   高松政雄(1986)『日本漢字音概論』風間書房
   沼本克明(1986)『日本漢字音の歴史』東京堂出版
   藤井遊惟(2007)『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い』東京図書出版会

   ・伯慧(1983)『現代漢語方言』光生館
 

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