2.1.3 外郎薬
2.1.3.1 薬名
陳延祐を祖とする外郎家は代々、医事に従事し、やがては薬屋として発展していくことになります。外郎家は、「食薬」「玉屑丸」などの5種類の主な薬剤を初めとした、多くのを薬剤を取り扱っていました。その中でも外郎の薬を代表するものとして「透頂香」がよく知られていました。この「透頂香」は難しくて言いにく、外郎家の薬であったことから次第に、外郎薬、あるいは単に外郎と呼ばれるようになっていきました。この薬名としての外郎が、「外郎」の第三の語義ということになります。
(1)透頂香とは
外郎家が北条氏綱(1487~1541)に献じたことから小田原の名物になりました。御上人が冠の中に入れて珍重したことから、透頂香と命名されました。前述の、ポルトガル人宣教師による『日葡辞書』(1603)にも「次のような記述がみられます。
Tochinko(トゥチンカゥ) 「諸々の薬剤を合わせて作った、黒い小粒の丸薬」
主成分は、「阿仙薬」「龍脳」「丁子」「甘草」「百檀」などの香料やスパイスなどで、これらの原材料は、元王朝の時代に南方や中近東などのと交易が盛んになったことから中国でも薬剤に使用されるようになりました。日本においては、主に消化器疾患に用いられていましたが、痰切りや、戦陣の救急薬にもなりました。
ここで重要なのが、丸薬の外郎・透頂香とは別にもうひとつ、四方形・板状の花外郎・透頂香と呼ばれる薬もあったという点です。室町期は男女を問わずお歯黒の風習がありました。江戸期は女性にだけその風習が残っています。お歯黒をしていた人たちの歯固めと、お歯黒独特の口臭を防ぐために使用されていたのが、この芳香性咀嚼剤の花外郎だったようです。
これらの外郎薬は、江戸期も引き続いて小田原宿の名物として知られていました。仮名草紙『東海道名所記』(1659)には、「東海道第一の名物也」との紹介がみられます。現在も小田原の外郎家により販売されています。形状は、仁丹のような銀の小粒へと変化しています。
(2)外郎売り
室町期以降、特に織豊期にもなると農業インフラ整備の進展に伴い、庶民の経済力が一段と向上してきました。同時に、上流階級に限られていた医療も庶民の間に普及、その中で大きな役割を担っていったのが、薬剤でした。
室町期には、多くの薬屋が登場し、同時に薬の行商も大きく広がっていきました。外郎も、旅の遊芸や行商人にその販売を委託し、各地で販売されていきました。
そのような中で登場したのが、1718年、二代目団十郎が上演した「外郎売り」です。外郎の行商の台詞と、中世以来の芸能集団の口承文芸が結び付き、二代目団十郎がそれを芸術の域まで高めたと言われています。外郎薬の由来と効能を連ねた早口で饒舌な台詞は、「声をよくし、舌の回りをよくする」という宣伝効果も相まって、日本人の外郎好きを促進したと言います。
なお、この「外郎売り」の台詞は、現在も俳優やアナウンサーの滑舌の練習として活用されているそうです(こちら参照)。
2.1.3.2 転義~家名から商品名へ
「マック」「マクド」など、地域によっていろいろな略称を有するほど身近となった「マクドナルド」。「マクドナルド」の主力商品といえば、ハンバーガー。ハンバーガーといえば「マクドナルド」というように、現在はハンバーガーの代名詞となっています。
元々は、1940年にアメリカでマクドナルド兄弟が創業したのが始まりとされています。幾多の変遷を経て、現在は世界を代表するファーストフード・チェーンとなっています。
これなどは、家名が商品名となった好例といえましょう。創業家の代表的な商品がブランド力を有し、世間では「家名=商品名」という認識が拡がっていったもの思われます。外郎家が製造・販売を開始した薬剤も同様、「外郎=透頂香」という認識が拡がっていったのではないかと想像されます。
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